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DATE: 2008/06/21(土)   CATEGORY: バロック
聖女アグネス

ホセ・デ・リベラ「聖女アグネス」
大きい画像はこちら

アグネスはコンスタンティヌス帝の時代、ローマに生まれた貴族の娘。
当時13歳にして、あまりの美貌ゆえに高級官僚の息子が目をつけ、嫁にしたいと言い出しました。
しかし敬虔なキリスト教徒である彼女が拒んだため、その息子は父親の権力を使って彼女を捕らえます。そして全裸にさせて市中を引き廻させるという蛮行に。
しかし、そこで奇蹟が!
何と、彼女の髪の毛がするすると伸びてきて、全身を覆ってしまったのです。

上の絵は、長い髪に覆われたアグネスの図。背景は真っ暗ですが、恐らく牢の中ではないでしょうか。

アグネスはその後、火あぶりにされるものの、火傷一つ負いませんでした。最後は斬首の刑に処されてしまうのですが・・・。

彼女の生きた時代は、まさにキリスト教迫害の最末期。
彼らの受難の日々の終止符を打つ、こんな伝承も残されています。

コンスタンティヌス帝の娘コンスタンティアは重い病(癩病)にかかっており、その快癒をローマの神々に祈っていたものの、いっこうに治る気配がありませんでした。そうして、ついに向かったのが、聖女アグネスの墓。
そこで彼女が祈りを捧げると、夢の中にアグネスが現れました。そして目が覚めた時、コンスタンティアの病は完全に治っていたのです。
その後、彼女は父の反対を押し切ってキリスト教に改宗し、一生を信仰に捧げたのでした・・・。

伝承の真偽のほどは謎のまま。
ただ残っているのは、コンスタンティヌス帝の発した信教の自由の勅令――いわゆる「ミラノ勅令」のみ。
これにより、彼はローマ帝国史上初のキリスト教皇帝となるのです。


Wikimedia Commons
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COMMENT

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Claude Monet | URL | 2008/06/21(土) 11:04 [EDIT]
いまビザンチン美術を調べていますけれど、コンスタンティヌス帝が娘のためにキリスト教を公認したのですか。帝王というのはすごいことを平気でやるんですね。コンスタンティノープルへの遷都も彼がやったんでしたっけ。
聖女アグネスは火あぶりの刑で焼けることがなく、刑吏たちに襲い掛かったそうですね。魔女として火あぶりになったので、そのくらいのことをしても驚かれなかったかもしれないですね。ただ、この時代、処女の処刑は禁じられていたそうで、彼女は娼館に投げ入れられたのだそうです。このような辱めを受けたのは彼女だけではないそうです。中世は本当にひどい時代だったのですね。

管理人 | URL | 2008/06/22(日) 10:00 [EDIT]
ここに載せている説明・・・というか語りの文は、それが描かれた頃、作者や鑑賞者がどのような知識を下敷きにしていたか、ということをメインにしています。すなわち、歴史上の真偽よりも伝承などに拠っています。

コンスタンティヌス帝の時代にはすでに国力も低下していたり、そのような事情もあっての「ミラノ勅令」だろうと思います。実際には。
大帝自身も、洗礼は死の直前だという説が有力ですしね。まあ、そんな殺伐とした話はここでは省いていますが。(苦笑)

アグネスの髪が伸びた「奇蹟」は、娼館に連行される最中のこととされているそうですね。
中世・・・というか、近代になるまで、世界各地で自己の共同体に入り込む異質なモノを排除する歴史は続いていました。人間の暗部を思い起こされて、沈んだ気持ちにもなります;;

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