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DATE: 2006/12/23(土)   CATEGORY: バロック
生誕

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「生誕」
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クリスマスに合わせ、キリストの降誕を描いた作品を紹介します。
こちらはラ・トゥールによる「生誕」。
赤子を抱いているのが聖母マリア。隣で見つめるのがマリアの母、聖アンナです。
ラ・トゥールは光と闇のコントラストを巧みに操った画家ですが、ここではあえて光源を手で隠すことにより、赤子を照らす光にいっそうの神秘性を生み出しています。

とかく物々しく、劇的に描かれうる場面を、どこまでも柔らかく穏やかなタッチで表現しており、観る者の目を惹きつけて止みません。


「ここで示されているのは、あらゆる誕生、すべての子どもの誕生と同じく、人間の姿になった神の誕生の神秘である。そこにはあきらかな神秘、どのような状況も説明も越えた光と夜がある」ジャック・テュイリエ
(「ジョルジュ・ド・ラトゥール 再発見された神秘の画家」創元社)
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DATE: 2006/12/21(木)   CATEGORY: バロック
ダナエ

レンブラント・ファン・レイン「ダナエ」
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アルゴスの王女ダナエは、彼女の子によって殺されるという予言を受けた父王アクリシオスによって塔に幽閉されてしまいます。
しかし美女に目のないゼウスは目ざとく彼女を見つけ、黄金の雨となって塔内のダナエに降り注ぎました。そうして生まれたのがペルセウス。
アクリシオスは娘と孫を箱に入れて海に流すものの、助けられたペルセウスは立派な若者に成長します。そして競技中に投げた円盤が偶然当たり、アクリシオスは死亡・・・予言は的中してしまうのです。

などと一応の説明は書きましたが、父殺しの予言を恐れて遠ざけも結局殺されてしまうというエピソードは、ソフォクレスの悲劇「オイディプス王」(エディプス・コンプレックスの語源)に近いものがありますね。
オイディプス王でも、父王が子供に殺されるという予言を恐れて捨てさせるものの、生き延びて成長したその息子に、親とは知らぬまま殺されてしまうのです。(そして知らぬまま実母と交わったがために、父を排除して母を我が物にしたいという欲望の心理用語にまで用いられることに・・・)


何だか殺伐とした話ばかりが続いてしまったので、絵そのものについての話など。
こちらはエルミタージュ美術館に所蔵されている有名な作品の一つです。(しかし今回のエルミタージュ展には来ていない・・・残念)
神の存在を感じ取っているのか、まるで畏れているかのように見えるダナエ。光を受けて黄金に輝く肌。
何しろモチーフがモチーフなだけに、とかく派手に(そして官能的に)なりがちなテーマですが、レンブラントの作品は非常に気品を感じさせます。
(・・・ただ、あんまり若い娘には見えない気もするんですが;)



こちらはティツィアーノの「ダナエ」。
幽閉の身のくせに、やけに堂々としています。むしろ挑発的にも見えますね。(何しろティツィアーノですから)



こちらはティエポロの「ダナエとユピテル」。
ティツィアーノと同じくヴェネツィアの画家なので(時代は違うが)、何となく漂う雰囲気に似たものを感じます。
しかも降り注いでいるのは雨ではなく、金貨。
い、痛くないですか・・・? というか、単なる不法侵入だし。と、思わず突っ込みたくなります。代価ですか、それは。さすがは商人の国ヴェネツィア。


Web Gallary of Art
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死の島

アルノルト・ベックリン「死の島」
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ベックリンはスイス出身の象徴主義の画家。当時は印象派が大活躍の時代でありましたが、まったく逆の方向を目指したのが象徴主義です。

この「死の島」は、白い棺を乗せた小船が孤島を目指して進んでゆく様を描いたもの。不気味でありながら、観る者の目を引きつける作品であります。
「死の島」は5つのバージョンがあり、上はベルリン美術館版。
次はバーゼル美術館版です。


(大きい画像はこちら

いっそうおどろおどろしいことになっています。
まさに「死の島」。そのまま連れて行かれそうです。

なお、バーゼルには「生の島」(「至福の島」とも訳される)という絵も所蔵されております。


生の歓びというよりは、どこか退廃的な香りが漂う作品です。
どうにもベックリンという画家は、ペシミストではなかったかと思えてなりません。(苦笑)

なお、「死の島」に触発されて、ラフマニノフが同題の交響詩を作曲しております。MIDI音源を探したのですが、残念ながら見つかりませんでした。
しかしラフマニノフ本人は、実際の絵を観たことがなく、白黒写真で見た時点でインスピレーションを受け、作曲したのだそうです。後で実物を観てから、実際に観ていたらあの曲は作らなかっただろうと言っていたとか。よほど衝撃だったんでしょうか。

是非とも実物を観てみたい作品です。写真では怖さも半減すると思うので。(苦笑)


Wikimedia Commons
CGFA
バーゼル美術館(Eng./Dutch)
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オデュッセウスとセイレン

ハーバート・ジェイムズ・ドレイパー「オデュッセウスとセイレン」
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オデュッセウスはホメロスの叙事詩「オデュッセイア」の主人公。ユリシーズとも呼ばれます。
イタケ王のオデュッセウスは、10年にも及んだトロイア戦争に出かけ、「トロイの木馬」作戦によってトロイアを滅亡させ、意気揚々と帰ろうとしたところ、様々な苦難に遭って故郷に戻るまでに10年もの歳月を経てしまったという人物です。

叡智、あるいは奸智に長けた人物として語られることが多いのですが、10年経ってようやく生み出された苦肉の策ではないかという気がしないでもありません。(汗)

それはともかく、こちらはオデュッセウスの帰途の一場面。

セイレンは、ここでは美しいマーメイドのように描かれておりますが、ホメロスの描写では怪物に近い生き物です。
「サイレン」の語源でもあるセイレンは、上半身が女、下半身が鳥または魚で、美しい歌声によって船乗りを誘惑し、引き寄せられた者は死ぬまで聴き続けたのだそうです。

オデュッセウスは、この海を通る前に魔女キルケから忠告を受けていたので、部下の耳を蜜蝋で塞ぎ、自分は歌声を聴きたいので帆柱に自分の体を縛りつけたのでした。
その辺りがはっきりと伝わるのが上の絵です。
誘惑しようと現れたセイレンたちの裸身はなまめかしく魅惑的で、さすがは美女好きのラファエル前派らしい作品だと思います。(笑)



一方、こちらはクリムトの「セイレン」。
もはや人でも人型生物でもありません。何やら凄いことになっていますが、怪物らしさは嫌でも伝わってきます。
こちらの作品は1889年。ドレイパーは1909年。制作年には20年の開きがありますが、両画家の生きた時代はまったく同じ。それにも関わらず、目指すものの違いがこれほどはっきりしていると、見ていてなかなか興味深いですね。

画像元:Wikimedia Commons
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