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DATE: 2011/12/03(土)   CATEGORY: ロマン主義
着衣のマハ


上:フランシスコ・デ・ゴヤ「着衣のマハ」
下:同「裸のマハ」


だいぶ日が経ってしまいましたが、国立新美術館のゴヤ展に行ってまいりました。
まだ会期中ということで、今回は目玉作品である「着衣のマハ」を中心にご紹介いたします。

ゴヤ作品だけに限らず、美術史の中でも非常に有名なこの1枚――否、「2枚」。
「着衣のマハ」「裸のマハ」対作品の片割れです。

プラド美術館からは1枚しか借りられなかったのでしょうけれど、現地で観光に来た人たちは片方しか観られず残念ではないだろうかと思います。どうもすみません、日本がお借りしております。

この題にもある「マハ」とは個人名ではなく、小粋な女性を表す名詞。
このモデルの女性が誰なのかは現在に至るまでわかっておりません。というのも、もともと堂々と飾れるような性質の作品ではなかったからです。

当時、宮廷画家として活躍していたゴヤにマハの絵を注文したのは、時の権力者ゴドウィン。先に製作されたのは「裸のマハ」の方だったとされています。
そしてその後、まったく同じポーズの同じ女性に衣服を着せた「着衣のマハ」が描かれたのでした。

この2枚の絵はゴドイの私邸に置かれ、普段は「着衣のマハ」を飾っておき、ひっそりと内輪だけで鑑賞する時に「裸のマハ」と入れ替わるようにされていたそうです。
このようなからくりまで用いて人目に触れないよう隠されていた作品でしたが、ゴドウィンが失脚し、私物が押収されたことにより、この絵も白日の下に晒されることになったのでした。

当時はまだ裸婦画を堂々と描けるような時代ではなかったため、宮廷画家ゴヤにも厳しい取調べが行われました。女神などの神話・宗教画であれば裸婦も許されていたのですが、マハはごく普通の娘。しかも「裸のマハ」1枚だけならヴィーナスだとでも言い逃れることもできたのですが、「着衣のマハ」があることにより、その主張もできなくなってしまったのでした。

ちなみに、このモデルの有力候補はアルバ女公爵だと言われています。
美貌と莫大な富を持つ大貴族であった彼女は、王妃さえも羨んだと言われるほどの人物。彼女はゴヤの最大のパトロンであり、また特別な関係にもあったとされています。

しかし現在に至るまでそれを裏付ける証拠はありません。このアルバ女公爵も、絵が問題になった時にはすでにこの世に亡く、それゆえにゴヤは強力な後ろ盾を失っていたのでした。
それでも彼は最後までモデルの女性について口を閉ざし、現在に至るまで謎が残されることとなったのでした。
なお、モデルにはゴドイの愛人という説もあるそうです。

それにしても、「2枚で1つ」のこの作品。両方借り受けることはできなかったでしょうが、それならせめて同じサイズのレプリカでも良いので置いてほしかったと思います。
(まあ、真作に比べて見劣りしてしまうとは思いますが……)

CGFA
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DATE: 2008/07/13(日)   CATEGORY: ロマン主義
飛翔する魔女たち

フランシスコ・デ・ゴヤ「魔女たちの飛翔」
大きい画像はこちら

ゴヤは18~19世紀、近代絵画の先駆けとなったスペインの画家。
主席宮廷画家となるなど、華やかな経歴も持っていましたが、1794年に大病を患い、すべての聴覚を失ってしまいます。
しかし制作意欲は衰えるどころかいっそう増し、またそれまで中心であった肖像画とはまったく異なる、奇想的な作品を次々に生み出していったのです。

今回ご紹介する「魔女たちの飛翔」は、1797-1798年頃制作とされているので、音のない世界で生み出された作品となります。

実はこの絵、2006年のプラド美術館展にも来ておりました。その時の目玉はティツィアーノやベラスケス。自分自身もムリーリョやスルバランなどの明るい作品にばかり目が向いていたので、実物を前にしてもあまり深く考えることなく眺めていたのでした・・・。まあ、明るく華々しい作品群の中で、異色であるという印象は強かったのですけどね。

この作品の下方では、二人の男が魔女たちから逃れるように、一人は布をかぶり、一人は耳を覆って倒れ込んでいます。
しかしそれとは対照的に、空中に浮かぶ魔女たちに抱えられた男は、その身を完全に預けています。
何やらとても暗喩の込められているように見えるこの作品。
魔女たちはおどろおどろしい生き物としてではなく、「知恵」の象徴として考えられているようです。一見すると、魔女たちが男の血を吸っているように思えますが、頬の膨らみ具合から、「若者の肉体に知恵を吹き込んでいる」ところであるのだとか。

光と闇のコントラストによるドラマティックな描き方は、バロック絵画を髣髴させます。


さて、ゴヤの作品には上記のような「浮遊する」イメージの絵が多いのですが、その中でも気になるのが次の作品。



フランシスコ・デ・ゴヤ「藁人形遊び」

これは「カルトン」の一つ。カルトンとは、タピストリー製作用の原寸大の下絵のことです。駆け出しの頃、都に出てきたゴヤは、しばらくこのカルトン作りを続けていたのでした。

この「藁人形遊び」、何とも不思議な情景です。
「灰の水曜日」(四旬節の初日。復活祭の46日前)に行われる行事だというのですが・・・異様な雰囲気に思えてしまいます。どことなくシュール。
いまだにこの慣習があるのかどうかも、気になるところです。


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DATE: 2006/09/09(土)   CATEGORY: ロマン主義
吹雪―アルプスを越えるハンニバルとその軍勢

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
「吹雪―アルプスを越えるハンニバルとその軍勢」


引き続きローマ史ネタより。といっても、今回はカルタゴですが。
ハンニバル戦役、すなわちポエニ戦争といえば、古代西洋史でもっとも有名な戦いの一つです。特に有名なカンネの戦いは、現代の士官学校でも(西洋では)必ず学習するというほどですから。

そしてターナーの絵ですが・・・正直、どこに肝心のハンニバルがいるのかよくわかりません。(汗)
象に乗っているのがそうだというのですが・・・どこですか。
カルタゴというのは今のアフリカに生まれた豊かな国家でした。現代ではちょっと想像しにくいのですが、当時のアフリカは肥沃な大地に恵まれていたのです。
アフリカなので、もちろん象もいます。戦争では「戦車」の代わりに使われておりました。ハンニバルは冬のアルプス越えにも象を連れて行ったのですが、途中で何頭も脱落し、いざ戦闘になると言うことをきかず、一頭も役に立たないまま失われてしまったのでした。何のための象なのか・・・。

ところでこの絵が出展された当時は、ナポレオンに対する皮肉だと受け取られたようです。
発表された1812年というのは、実にナポレオンのロシア遠征の年なんですね。ただ、ハンニバルは冬のアルプスを越えてローマ軍を蹴散らしたものの、ナポレオンはその逆でしたがね・・・。(とはいえハンニバルは最終的に敗北を喫しますが、当時最高の戦術家であったことは間違いないでしょう)

何だか絵そのものの説明が不足しておりますが(一応ターナーの画集を持っているくせに)、決死の思いでアルプスを越える軍に襲い掛かる冬の猛威を感じさせられます。
ちなみにターナーは、初期の絵の方が好みです。

大きい画像はこちら
画像元:Web Gallery of Art
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