飛翔する魔女たち

フランシスコ・デ・ゴヤ「魔女たちの飛翔」
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ゴヤは18〜19世紀、近代絵画の先駆けとなったスペインの画家。
主席宮廷画家となるなど、華やかな経歴も持っていましたが、1794年に大病を患い、すべての聴覚を失ってしまいます。
しかし制作意欲は衰えるどころかいっそう増し、またそれまで中心であった肖像画とはまったく異なる、奇想的な作品を次々に生み出していったのです。
今回ご紹介する「魔女たちの飛翔」は、1797−1798年頃制作とされているので、音のない世界で生み出された作品となります。
実はこの絵、2006年のプラド美術館展にも来ておりました。その時の目玉はティツィアーノやベラスケス。自分自身もムリーリョやスルバランなどの明るい作品にばかり目が向いていたので、実物を前にしてもあまり深く考えることなく眺めていたのでした・・・。まあ、明るく華々しい作品群の中で、異色であるという印象は強かったのですけどね。
この作品の下方では、二人の男が魔女たちから逃れるように、一人は布をかぶり、一人は耳を覆って倒れ込んでいます。
しかしそれとは対照的に、空中に浮かぶ魔女たちに抱えられた男は、その身を完全に預けています。
何やらとても暗喩の込められているように見えるこの作品。
魔女たちはおどろおどろしい生き物としてではなく、「知恵」の象徴として考えられているようです。一見すると、魔女たちが男の血を吸っているように思えますが、頬の膨らみ具合から、「若者の肉体に知恵を吹き込んでいる」ところであるのだとか。
光と闇のコントラストによるドラマティックな描き方は、バロック絵画を髣髴させます。
さて、ゴヤの作品には上記のような「浮遊する」イメージの絵が多いのですが、その中でも気になるのが次の作品。

フランシスコ・デ・ゴヤ「藁人形遊び」
これは「カルトン」の一つ。カルトンとは、タピストリー製作用の原寸大の下絵のことです。駆け出しの頃、都に出てきたゴヤは、しばらくこのカルトン作りを続けていたのでした。
この「藁人形遊び」、何とも不思議な情景です。
「灰の水曜日」(四旬節の初日。復活祭の46日前)に行われる行事だというのですが・・・異様な雰囲気に思えてしまいます。どことなくシュール。
いまだにこの慣習があるのかどうかも、気になるところです。
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静物画の秘密展
2008年7月2日〜9月15日、国立新美術館において「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展」が開かれております。
このたび当ブログに対し、こちらの展覧会のプレスプレビュー(内覧会)のお誘いを受けまして、管理人の代理としてちゅん吉さんに突撃レポートしていただくことになりました。
それでは以下、レポート記事になります。どうぞ。
『ウイーン美術史美術館 静物画の秘密展』
7月1日 火曜 13;30〜14;45 プレスレビュー
7月1日、国立新美術館において『静物画の秘密展』のプレスレビューがあるとのことで、天球美術館管理人の千巻さんの代理として行ってまいりました。
当日は本当は休館日ということで、ちょっぴりガード固し。門にてお誘いのメールを印刷したものを見せて入館しました。

▲国立新美術館
この日は初日ですので、ゲストにウイーン美術史美術館の館長 ヴィルフリート・ザイペル氏、展覧会監修者の同館 副館長 カール・シュッツ氏と共立女子大学教授 木島俊介氏がいらしてて、ご挨拶を賜りました。

なんでもウイーン美術史美術館の来館者の14%は日本人だとか。これにはちょっと驚きました。日本人、スゴイです・・・
今回は静物画というジャンルに絞った展覧会ということで、まず静物画とは何か?というお話をカール・シュッツ氏が語ってくださいました。
静物画というジャンル自体の成立はかなり遅く、17世紀にようやく定義が明確にされたようです。
静物画は英語では「still-life 」(独語;Stillleben 、蘭語;stilleben)と言い、、「静かにとどまっている、生きているもの、生き生きとした本物に見えるもの」、といった意味合いであります。
面白いのは、これにたいして、ラテン系の国々では同じジャンルの静物画に対し、仏語で「nature morte」、伊語で「natura morta」つまり「死せる自然」と真逆の言葉で表現していることです。
切り取られた自然の一部〜それはすでに死んでいる〜を、生き生きと描く絵と解釈しました。
どうもこの静物画、基本はvanitasの精神のようです。
まあ、私の勝手な解釈なのですが、キリスト教における空しさ、虚ろさを表しているようで。
これはたぶん、すべての現世の美しさ、楽しさ、栄華、権力は神の御前には無意味であり、称えられるべきはキリストの栄光である、という宗教観から来るvanitasではないか、って思います。
さて、展覧会は四つの章に分かれており、それぞれの章の代表的絵画をカール・シュッツ氏が解説してくださいました。
このたび当ブログに対し、こちらの展覧会のプレスプレビュー(内覧会)のお誘いを受けまして、管理人の代理としてちゅん吉さんに突撃レポートしていただくことになりました。
それでは以下、レポート記事になります。どうぞ。
『ウイーン美術史美術館 静物画の秘密展』
7月1日 火曜 13;30〜14;45 プレスレビュー
7月1日、国立新美術館において『静物画の秘密展』のプレスレビューがあるとのことで、天球美術館管理人の千巻さんの代理として行ってまいりました。
当日は本当は休館日ということで、ちょっぴりガード固し。門にてお誘いのメールを印刷したものを見せて入館しました。

▲国立新美術館
この日は初日ですので、ゲストにウイーン美術史美術館の館長 ヴィルフリート・ザイペル氏、展覧会監修者の同館 副館長 カール・シュッツ氏と共立女子大学教授 木島俊介氏がいらしてて、ご挨拶を賜りました。

なんでもウイーン美術史美術館の来館者の14%は日本人だとか。これにはちょっと驚きました。日本人、スゴイです・・・
今回は静物画というジャンルに絞った展覧会ということで、まず静物画とは何か?というお話をカール・シュッツ氏が語ってくださいました。
静物画というジャンル自体の成立はかなり遅く、17世紀にようやく定義が明確にされたようです。
静物画は英語では「still-life 」(独語;Stillleben 、蘭語;stilleben)と言い、、「静かにとどまっている、生きているもの、生き生きとした本物に見えるもの」、といった意味合いであります。
面白いのは、これにたいして、ラテン系の国々では同じジャンルの静物画に対し、仏語で「nature morte」、伊語で「natura morta」つまり「死せる自然」と真逆の言葉で表現していることです。
切り取られた自然の一部〜それはすでに死んでいる〜を、生き生きと描く絵と解釈しました。
どうもこの静物画、基本はvanitasの精神のようです。
まあ、私の勝手な解釈なのですが、キリスト教における空しさ、虚ろさを表しているようで。
これはたぶん、すべての現世の美しさ、楽しさ、栄華、権力は神の御前には無意味であり、称えられるべきはキリストの栄光である、という宗教観から来るvanitasではないか、って思います。
さて、展覧会は四つの章に分かれており、それぞれの章の代表的絵画をカール・シュッツ氏が解説してくださいました。
聖女アグネス

ホセ・デ・リベラ「聖女アグネス」
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アグネスはコンスタンティヌス帝の時代、ローマに生まれた貴族の娘。
当時13歳にして、あまりの美貌ゆえに高級官僚の息子が目をつけ、嫁にしたいと言い出しました。
しかし敬虔なキリスト教徒である彼女が拒んだため、その息子は父親の権力を使って彼女を捕らえます。そして全裸にさせて市中を引き廻させるという蛮行に。
しかし、そこで奇蹟が!
何と、彼女の髪の毛がするすると伸びてきて、全身を覆ってしまったのです。
上の絵は、長い髪に覆われたアグネスの図。背景は真っ暗ですが、恐らく牢の中ではないでしょうか。
アグネスはその後、火あぶりにされるものの、火傷一つ負いませんでした。最後は斬首の刑に処されてしまうのですが・・・。
彼女の生きた時代は、まさにキリスト教迫害の最末期。
彼らの受難の日々の終止符を打つ、こんな伝承も残されています。
コンスタンティヌス帝の娘コンスタンティアは重い病(癩病)にかかっており、その快癒をローマの神々に祈っていたものの、いっこうに治る気配がありませんでした。そうして、ついに向かったのが、聖女アグネスの墓。
そこで彼女が祈りを捧げると、夢の中にアグネスが現れました。そして目が覚めた時、コンスタンティアの病は完全に治っていたのです。
その後、彼女は父の反対を押し切ってキリスト教に改宗し、一生を信仰に捧げたのでした・・・。
伝承の真偽のほどは謎のまま。
ただ残っているのは、コンスタンティヌス帝の発した信教の自由の勅令――いわゆる「ミラノ勅令」のみ。
これにより、彼はローマ帝国史上初のキリスト教皇帝となるのです。
Wikimedia Commons
アンカー展

松本市美術館で、会期終了間際の「アンカー展」に行ってきました。
アルベール・アンカーは19世紀スイスの画家。「ハイジの国から松本へ」というコピーの通り、「ハイジ」の著者ヨハンナ・シュピーリと同時代の人物です。(ちなみに、Bunkamuraで開催されていた時のコピーは「故郷スイス村のぬくもり」でした)
日本での知名度は、まずほとんどありません。自分も、この展覧会がなければ一生知らずに終わった可能性が高いです。よく開催してくれたものだと思います。主催者に感謝したいですね。そのくらい、とても素晴らしい本格的な回顧展でした。

「少女と2匹の猫」
展示室に入ってすぐ目に付く作品。そして一気にこの画家の世界に引き込まれる作品でもあります。
動物と子供は反則でしょう!!(笑)
日本人の好感度は、この時点で一気に急上昇だと思います。
ちなみにポストカードは売り切れでした。

「おじいさんの膝で眠る孫娘」
ハイジーー!!
と、思った人はどのくらいいるでしょうか。日本人スイスに対するイメージが完全に具現化されていると思います。
と、しょうもないコメントばかり載せてどうする。(汗)

「新聞を読むおじいさん」
またもおじいさんを上げてしまいました。
この時代、老農夫たちはかなり世相に関心を持っており、新聞を読んでいたのだそうです。識字率ってどのくらいだったのでしょうね。
以前に「ロシア絵画の真髄」展を観た時には、寒さと貧しさに覆われた農村があまりにも痛々しくて辛かったのですが、今回はずいぶんと趣が違いました。
もちろん、アンカーフィルターを通しているからかもしれませんけれども。

「祖国に帰る1830年の兵士」
1830年のパリ7月革命から帰ろうとする兵士。恐らくその途上、村の子供に道を尋ねているであろう場面が描かれています。
会場でも図録でも、ギュスターヴ・クールベの「こんにちは、クールベさん」と関連がある、という説明がされていました。が、肝心のその作品がどこにも紹介されていないことが気になります。知らない人には何のことやらサッパリではないでしょうか。(汗)
というわけで、代わりにここに載せてみます。

※参照画像
ギュスターヴ・クールベ「出会い こんにちは、クールベさん」(1854年)
右側がクールベ。スポンサーとの出会いを、まるで歴史画のように大仰に描かれているため、非難を受けました。(というか、クールベはそもそも美術界に真っ向から立ち向かう性格の人間で、他にもいろいろと新たな試みをしました)
確かにアンカーの作品とも似ています。ちなみにアンカーの方は1872年作です。

「髪を編む少女」
今回の展覧会で一番心に残った作品です。解説にもありましたが、どことなくフェルメールの雰囲気を感じますね。
全体的に、編み物をする姿の絵が多かったのですが、こちらも構図としてはほぼ同じ。伏し目がちに、集中して一点を見つめる横顔というのはとても美しいと思います。
本当はもっとたくさん載せたいところなのですが、それを始めるとキリがないのでこの辺で。
とても優しい空間に包まれた、素晴らしい展覧会だったと思います。観ていて心が温かくなれました。そして子供たちが、みな賢そうな面立ちをしていたのも印象深かったです。
ウルビーノのヴィーナス展
「ウルビーノのヴィーナス――古代からルネサンス、美の女神の系譜」

実際には2週間前に行ってきたのですが、レビューが遅くなりました。
フィレンツェはウフィツィ美術館から、美の女神が来臨しております。

ティツィアーノ・ヴェチェリオ「ウルビーノのヴィーナス」
この展覧会の目玉となる作品。
先に描かれたジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」との関連性で、すでに当ブログでも紹介しております。
→ジョルジョーネ「眠れるヴィーナス」
実際に女神様と対面し、まずはその大きさに圧倒されました。
人間の裸婦は禁忌でもあるこの時代、堂々としているのは画中の女性だけではなく、それを世に送り出した巨匠そのものなのだと実感しました。ためらいの欠片も感じられません。
そして470年もの時を経たとはとても思えないほど、色鮮やかに描かれていて、大変満足しました。人出も、想像よりは少なめでしたしね。
この展覧会では、「ウルビーノのヴィーナス」を中心として、様々な美の女神像を集めたものになっていました。
ゆえに裸婦画が大半。体つきの表現も千差万別というところでしたね。
以下は、その中でも特に気に入った作品を挙げてみます。

アンニバレ・カラッチ「ヴィーナスとキューピッド」
美の女神ヴィーナスと、その息子キューピッド。この二神の取り合わせは特に珍しいものではありませんが、今作品で目を引くのは構図です。
上空から差し込む光に照らし出された、女神の白い肌は大変美しいですが、それを下から仰ぎ見るような構図に思わずドキリとさせられます。
はっきりとはわかりませんが、どうやら天井画であると見られているようです。それならば納得。鑑賞者は、頭上の女神を自然の淡い光の中に見いだすことになるでしょう。

ラファエッロ・ヴァンニ「キューピッドを鎮める『賢明』」
この作品の最も驚くべき点は、素材です。
実はこれ、絹布に描かれているのです。
そしてここに描かれているのは、「絵画の覆いを開けようとするキューピッドを諫める母ヴィーナス」の図。(カーテンの下は鏡のようにも見えますが、実際には肖像画であるようです)
以上のことから、これはもともと特別な絵を隠すためにかけられていた布であると考えられています。しかし、これだけでも充分価値のある作品だとおもいますけどね。下の絵はいったいどんなものだったのでしょうか。
この布の下に隠された絵を暗示するような、キューピッドの行動。そしてそれをやめさせようとする、母性あふれる女神の姿。大変深い意味の込められた作品だと思います。

実際には2週間前に行ってきたのですが、レビューが遅くなりました。
フィレンツェはウフィツィ美術館から、美の女神が来臨しております。

ティツィアーノ・ヴェチェリオ「ウルビーノのヴィーナス」
この展覧会の目玉となる作品。
先に描かれたジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」との関連性で、すでに当ブログでも紹介しております。
→ジョルジョーネ「眠れるヴィーナス」
実際に女神様と対面し、まずはその大きさに圧倒されました。
人間の裸婦は禁忌でもあるこの時代、堂々としているのは画中の女性だけではなく、それを世に送り出した巨匠そのものなのだと実感しました。ためらいの欠片も感じられません。
そして470年もの時を経たとはとても思えないほど、色鮮やかに描かれていて、大変満足しました。人出も、想像よりは少なめでしたしね。
この展覧会では、「ウルビーノのヴィーナス」を中心として、様々な美の女神像を集めたものになっていました。
ゆえに裸婦画が大半。体つきの表現も千差万別というところでしたね。
以下は、その中でも特に気に入った作品を挙げてみます。

アンニバレ・カラッチ「ヴィーナスとキューピッド」
美の女神ヴィーナスと、その息子キューピッド。この二神の取り合わせは特に珍しいものではありませんが、今作品で目を引くのは構図です。
上空から差し込む光に照らし出された、女神の白い肌は大変美しいですが、それを下から仰ぎ見るような構図に思わずドキリとさせられます。
はっきりとはわかりませんが、どうやら天井画であると見られているようです。それならば納得。鑑賞者は、頭上の女神を自然の淡い光の中に見いだすことになるでしょう。

ラファエッロ・ヴァンニ「キューピッドを鎮める『賢明』」
この作品の最も驚くべき点は、素材です。
実はこれ、絹布に描かれているのです。
そしてここに描かれているのは、「絵画の覆いを開けようとするキューピッドを諫める母ヴィーナス」の図。(カーテンの下は鏡のようにも見えますが、実際には肖像画であるようです)
以上のことから、これはもともと特別な絵を隠すためにかけられていた布であると考えられています。しかし、これだけでも充分価値のある作品だとおもいますけどね。下の絵はいったいどんなものだったのでしょうか。
この布の下に隠された絵を暗示するような、キューピッドの行動。そしてそれをやめさせようとする、母性あふれる女神の姿。大変深い意味の込められた作品だと思います。
ブルータス

ミケランジェロ・ブオナローティ「ブルータス」
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紀元前44年3月15日。
それは歴史の流れを大きく変える運命の日となりました。
ユリウス・カエサル暗殺――
巨大な帝国の礎を築くことになる彼が最後に残したとされる言葉は、あまりにも有名です。
――ブルータス、おまえもか。
生涯を終えるにも、帝国を形作るにもまだ早すぎる時に、自らの人生の幕を下ろさせた人間を、カエサルはどのように見ていたのでしょうか。最後の瞬間、カエサルの目にはどのように映ったのでしょうか。
強い意志と信念を抱き、威厳を持った人物として表現したのが、このミケランジェロのブルータス像です。
しかし、このブルータスは「マルクス・ブルータス」。
カエサルの愛人の息子で、最後まで甘ちゃんな部分の抜けなかった人物でもあるため、最近ではカエサルの優秀な部下である、もう一人のブルータス、「デキムス・ブルータス」こそが「おまえもか」の人物ではないかと見られています。
美術を少しでもやったことのある人なら、デッサンでお馴染みのブルータス像。
ガシャポンから出ていた「石膏デッサン」シリーズのブルータスも、なかなか良くできています。

左が石膏バージョン、右が大理石バージョン。
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蝶を描くゼウス

ドッソ・ドッシ「蝶を描くゼウス」
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ギリシア神話を描いたバロック絵画、というリクエストをいただきましたので、今回選ばせていただいたのが、この作品。
何とも解釈の難しい作品です。
ドッソ・ドッシという人は、どうも謎な絵を描くのが好きなようです。(→前掲「魔女キルケ」参照)
絵筆を持って画布に蝶を描いているのはゼウス。その隣で、唇に指を押し当てながら振り返るのは、ヘルメス。(翼のついた帽子とサンダルがヘルメスのアトリビュート)
しかしこの情景は、ギリシア神話の中にはありません。ゼウスが絵を描くなどというのも、画家のオリジナルでしょう。
当時、決して高い身分ではなかった画家を主神ゼウスに投影させることで、絵画芸術を高めたいという思いが込められていたのでしょうか。
また、ゼウスが描いている蝶も、ギリシア神話の中では魂の象徴であることもまた何か意味がありそうです。
後ろから、ゼウスに何か訴えようとしている女性についても、謎のままです。その地位の低さを嘆く「絵画芸術」そのものの象徴とも考えられているようです。絵画を女性になぞらえるのは、フェルメールの「絵画芸術の寓意」を髣髴させます。
背景に描かれるのは、天翔ける虹。
それは、雷を司る神ゼウスによって魂を吹き込まれた絵画芸術に託された、未来への希望の光なのではないでしょうか。
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